領域代表あいさつ
本領域は、ヒトが人生という長期的生活行動をどのように自ら選択し、個人のウェルビーイングを発展させるかという問題を、思春期から形成される主体価値に注目して理解する新分野の創出を目指します。
思春期は霊長類と比べてヒトで際立って長く、大脳新皮質の成熟の最終段階です。同時に、児童期までの親子関係から、仲間とのより多様な経験で結ばれた社会関係へと発展する決定的な時期でもあります。そこでの豊かな経験を通じて、実生活のなかでの行動を選択する駆動因である価値は内在化・個別化され、主体価値として形成されていきます。主体価値は長期的生活行動を自らが主体的に選択する動因であり、人間のウェルビーイングの源といえるのです。
本領域は学際研究により主体価値の形成過程と脳基盤を解明し、その充実・発展に向けた思春期からの方策提起を目標に進めてまいります。これにより、思春期、主体価値を鍵概念とした、分野横断的な「人はどう生きるかの科学」を創出することを目指します。本領域を推進することにより、Population neuroscienceという新たな総合人間科学を創出することを通じて、教育・施策に科学的な提言や具体的な指針を提供することが期待されます。また、環境に能動的に働きかける脳機能の本質に迫る「行動脳」ステージへ脳科学を導くことになるでしょう。
笠井清登
東京大学大学院医学系研究科
領域概要
本領域は、学際的な研究者の連携により、脳科学、生活・リアルワールド、人生疫学のアプローチを統合して、主体価値の形成過程を理解し、さらに主体価値を発展させウェルビーングを目指す具体的指針を検討します。
価値の主体化に対して、価値記憶と実際の行動のコンフリクトを、メタ認知・内言語という自己制御により調整する過程とモデル化します。そのうえで、価値記憶を支える辺縁系については、動物とヒトで共有された回路と考えられるため、侵襲的な実験が可能な特徴を生かし、マウスを用いることにより、シナプス・回路・価値記憶の形成の因果関係の特定までを目指します。ヒトに特異的な回路については、思春期を対象としたfMRI研究で解明します。さらにその個人差の解明のために、C01との連携により、地域住民のランダムサンプリングで得られた東京ティーンコホートから、脳・行動の時系列多変量データを解析します。これらの研究から、主体価値の脳基盤を解明し、B01の研究に接続します。
A01の脳基盤研究に、リアルワールドというパラメータが加わったものです。脳が、対人関係をともなう日常生活という、リアルワールドに働きかけながら、脳、主体価値、生活行動習慣のスパイラルをどのように回して、主体価値を更新していくのか、その動態を明らかにします。食行動、日常生活リズム、行動依存などの障害を示す思春期の人々を対象として、
24時間のウェアラブル生体計測や、自然な状態での脳計測が可能なウェアラブルNIRSなどの実データ計測や、個体と社会集団の双方向的作用を考慮したシミュレーション解析を組み合わせて、解明していきます。
C01は、人生という時間軸に沿って、主体価値がどのように思春期に形成され、それがその後の人生にどのような長期的な影響をもたらすのかを、ライフコース疫学の手法を用いて明らかにしていきます。中心としては、東京ティーンコホート研究を行います。A01、B01、D01からの知見による指標を導入して、継承価値が反抗期を経て主体価値へと改編する、思春期中・後期である、14歳、16歳の本人と親を対象とした研究を行います。さらに、思春期とライフコース全体との関係を統合的に明らかにするために、既存コホートデータの活用により、社会的決定要因や文化差の検討を行うとともに、世界最長の英国1946年コホートやブリストル大学ALSPACデータとの国際共同研究により、主体価値の形成がその後の人生にどのような影響をもたらすかを解明します。
D01では、A01の脳研究、B01のリアルワールド研究、C01の人生という時間軸研究を統合して脳・行動指標を導入することに加えて、さらに、健康から障害まで様々な思春期集団を対象とした、大規模な自由記入回答データの自然言語分析や、ライフストーリーの語りデータの質的心理学的な分析を通じて、主体価値の構成概念について、従来の自然科学で仮説されていなかった発見的な要素も含めて、臨床心理学的に深く掘り下げます。こうして、主体価値の構成概念をより統合的にとらえ、評価する手法を開発します。それにもとづき、これらの様々な集団に対する、縦断的な観察や、主体価値を発展させるような心理介入を行う研究を通じて、主体価値を発展させウェルビーイングを目指すための具体的な行動指針を得ます。